今に生きる山岳信仰
八海山尊神社
八海山は越後三山の一つで標高は1778米です。八海山を遠くから眺めると、たおやかな山裾がどこまでも広がり、麓の村々はまさに「山懐に抱かれる」という表現がふさわしい母性的な印象を受けます。これがいったん山の登り口から見上げると、峨々たる山嶺が肩を聳やかすように屹立して人々のなまなかな思い入れを峻拒するような、荒々しい姿で立ちはだかっています。
八海山が信仰の山として人々に知られるようになったのは、寛政六年(1794)のことですが、かの木曽の御嶽山の王滝口を開いた普寛行者が来越し、地元大崎村の泰賢行者とともに、八海山を中興開山してからの事です。
ここに八海山は一躍、天下の木曽の御嶽山の兄弟山に肩を並べ、普寛、泰賢行者の霊徳を仰ぎ、その足跡を辿って越後の内外から陸続と講集団が訪れるようになりました。
大崎口登山道はその十年後、泰賢行者自ら地元の御嶽講を率いて享和三年(1803)、これに切り開いたもので、これが大崎口里宮(現八海山尊神社)を世に知らしめた始まりです。
八海山尊神社は火渡祭を始め、夏山登拝、秋の奥駆け、大寒の雪中の滝行など、山岳信仰の脈々たる流れを今に伝える数少ない神社です。
神社の境内に入り大鳥居の方角を向いていただくと、八十八段の大石段があります。その階段を途中まで登ると、周りに一斉に音が鳴り響く「龍鳴」があります。日本古来の考え方では、手を打つことによって願いを送り、魂を活性化させることができるといわれています。
さらにその先へ進んでいただくと、8米の大鳥居と石の玉垣があります。こちらの神様の領域と境界線、いわゆる結界を通ったら聖なる八海山尊神社の本殿に到着します。
高台にある神社からは周囲の山々、森、点在する集落がパノラマのように拡がっています。神社より少し背後に奥まった所には、一転して森閑とした森の中に往時を偲ばせる苔むす里宮があり、「泰賢行者の霊窟」、「不動滝」が知られています。
八海山尊神社 大火渡祭
当神社の火渡祭は、八海山開闢の偉業により泰賢行者の威徳にあやからんとして、当地を修行に訪れた御嶽行者によって始められたと伝えられています。
火渡祭を執行する事は行者(先達)の霊力が高いレベルに達した証であり、その秘法は講中ごとに師弟の口伝により伝えられ、散発的に行われてきました。
やがて時代ははるか下り、昭和36年、神社を中心に内外の講中挙げての統一の気運が高まり、祭日を毎年十月二十日と定め、八海山尊神社霊風園で一堂に会して行われたのが現在の八海山尊神社大火渡祭の始まりです。
いまや日本有数の規模の火渡祭に達しました。お祭り当日、祭場を埋め尽くした数多の信者が斉唱する般若心経が山々にこだまします。点火された火はやがて火柱を上げて燃え盛り、火が燃え尽きた所々燠(おき)になった炭の上を渡る信者にとって、それは一切の罪障、罪穢れ、不浄の滅却であると共に、神と人とが一体になる最大の法悦でもあります。
参集した信者の皆様も、修行者が渡った後自由に渡れますので係の指示に従って身も心も清浄にしてご参加ください。
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観光情報
名称 | 八海山尊神社 |
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住所 | 新潟県南魚沼市大崎3746 |
電話番号 | 025-779-2010 |
拝観時間 | 冬期間(12月から4月中旬)は社務所に移行 |
定休日 | 通年拝観 |
駐車場 | 50台 |