雲洞庵の土踏んだか
日本一の庵寺
金城山雲洞庵
雲洞庵の開創
雲洞庵は正式名を「金城山雲洞庵」と申し、その開創は奈良時代に遡ります。
今から1300年程前、大化の改新の英雄、藤原鎌足公の孫・藤原房前公が母親の菩提を弔う尼僧院として建立されました。
その後、今から600年ほど前当時の関東管領・上杉憲実公が越後巡行の際、当地に立ち寄られ、上杉家の先祖藤原家の菩提寺雲洞庵が荒れ果てているのを嘆き再興を志しました。まずは当庵の開山として高僧、傑堂能勝禅師をお招きしました。
傑堂禅師とは後醍醐天皇に仕えた楠正成公の孫、楠正勝公です。
戦に明けくれた時代に無常を感じた正勝公は出家し、名を傑堂能勝と改め、禅僧としてその識見と道力は高く評価されていました。
上杉憲実公は傑堂能勝禅師のために、新たに寺を作り替え、1429年「曹洞宗金城山雲洞護国禅庵」とされました。
雲洞庵の土踏んだか
雲洞庵の境内に足を踏み入れますと最初に山門である「赤門」をくぐります。
この赤門から、本堂までの敷石の下に、一つの石に一文字ずつ、法華経が書かれ、土に埋められております。石の数は約7万箇になりますが、このお経の上を歩く事により罪業が消滅し万福多幸のご利益があると伝えられています。
この地には昔から「雲洞庵の土踏んだか」という言葉がありますがその雲洞庵の土とはお経が埋められた敷石の事なのです。
雲洞庵は江戸初期まで、越後国 曹洞宗300ヶ寺を取りまとめる僧録を、のちには魚沼80ヶ寺の僧録を務めて参りました。「越後一の寺」と異名を誇る雲洞庵は多くの名僧を輩出してまいりました。
中でも、十世 北高全祝禅師の名声は広く知れ渡っており、上杉謙信公や武田信玄公にも帰依を受け、当時の雲洞庵には禅師の徳を慕い、数百名の修行僧が集まったと伝えられています。
また、上杉謙信公の後を継ぎ、越後の国主となられた上杉景勝公と、その家臣である直江兼続公の主従は幼少の頃、このお寺で、学問を学び修行をし、大いに鍛えられました。
時代とともに雲洞庵の役割も変わってはきましたが、樹齢300年を超える杉木立と境内の静けさには時を超えた趣が感じられます。皆様も是非一度南魚沼へ足を運ばれ、雲洞庵の土を踏んでみてください。
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観光情報
名称 | 雲洞庵 |
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住所 | 新潟県南魚沼市雲洞660 |
電話番号 | 025-782-0520 |
拝観時間 |
4月中旬~11月 9:00~17:00 12月~4月中旬 10:00~15:30 (※受付は終了30分前まで) |
定休日 | 水曜日(元旦・祝日を除く) |
駐車場 | 40台 |